
母には、レビー小体型認知症がありました。
前回、母親が窓際に向かって話しかけたことに
私は興味を持ち、母の見えている世界を知りたいと
母が話しかけている女の子にフォーカスをして
質問をしていった結果、母から
「ふふふ、あのね、そこまでじゃないの」と返されたました。
この出来事が、何故私が衝撃を受けたのか・・・
驚いた理由は2つあります。
1つめは、
それまで、母には私たちには
視えない世界がはっきりと見えていると思っていました。
でも、実際に母からの返答では、そこまで視えていない
母の見えていた世界は私には視れませんが、
もっと曖昧で、ぼんやりとした世界があったのかもしれない。
僕が勝手に「母には、母にしか視えない世界が
はっきりと見えているのだ」と、想像していただけだったのです。
2つめは、
幻覚を見ている状況から、
母が現実の世界に自然と戻ってきたこと
認知症の症状によっては、幻覚・幻聴が起きることがある。
ということは知っていましたが、
どうやって幻覚状態から戻ってくるのか・・・
むしろ、その状態が落ち着くまで(嵐が過ぎ去るまで)
黙ってやり過ごす。という認識でした。
ですが、この出来事では、会話をしていく中で、
母は幻覚がみえていて、視えている世界だけしか
視界に入っていなかった状態(私の声には反応してくれるが、
こちらに目を向けてくれる。意識を向けてくれることが無い状態)
から、私と会話をつづけていくなかで、
私達が戻そうとしたのではなく、自分から戻ってきたこと。
※とても分かりつらい書き方ですいません。
私たちが過ごしてきた中で、この出来事は
想像を超えた出来事だったということなんです。
この1件は、僕と母との関係を
そして窮地へと追い込まれていた
私たち家族を大きく変えるきっかけになりました。
この話はまた後日書かせていただきます。
この記事では、私が伝えたいことは、
即興(インプロビゼーション)を学んできたことが活きたこと、
そして即興の基礎である
相手から投げられたボールを否定せず、受け入れること
そこにプラスをしたボールを返すことで、世界が動くこと
私は、この「受け入れる」ということの本当の意味を、
改めて少し理解できたような気がします。
受け入れるというのは、
「相手の言っていることを、全部正しいと思うこと」
ではありません。まして、
「相手に合わせて、自分の現実まで変えること」
でもありません。
ただ、ありのままを受け入れる
そして、一度その人の世界に立ってみる。
それだけでも、見えてくるものがある。
私たちが過ごす日常では、
相手の世界を否定してしまったり、
自分の世界を守ろうと攻撃的になってしまったり
時に、相手をこちらの世界に巻き込もうとしてしまう。
「そんな世界はありえない」と否定してしまう前に
いちど、「あなたの見ている世界は、どんな世界なんだろう?」
と興味を持ってみる。
すると、その人が何を感じ、何を見て、何を考えているのか。
今までとは違った景色が見えてくることがあります。
あのときの私は、
母の幻覚を消そうとしたわけではありません。
母の見ている世界を、少しだけ覗いてみたかった。
そして、その世界を一緒に歩いてみた。
認知症だから。
高齢だから。
考え方が違うから。
自分とは違うから。
そんな理由で、相手の世界を最初から否定してしまうと、
その人を理解する機会も失ってしまいます。
まずは受け入れてみる。
そして、
「どうして?」ではなく、
「どんなふうに見えているのかな?」と関心を持つこと
その小さな違いが、相手との関係を変えることがあります。
僕にとって母とのこの出来事は、
「認知症の母への接し方」に大きな変化を学んだ経験でもありました。
皆さんは、この受け入れる。できていますか?
株式会社 Heart Joint
代表取締役 迫田 智之